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​「リ ショウネン」対談 Vol.3

神南昌一(以下、神南) : まずは自己紹介をお願いします!

 

佐野壽一(以下、佐野) : アトリエサノのオーナーデザイナー、そしてFMはつかいちで

「さのっちパラダイス」のパーソナリティーを務めておりますさのっちこと佐野壽一です!

 


神南 : 佐野さんよろしくお願いします。
今日はさのっちさんを丸裸にさせて頂きます(笑)。

 


佐野 : (苦笑)。

 

神南 : さのっちさんは修道大学の法学部出身ということですが、卒業後すぐにアパレル業界に飛び込んだそうですね!
その経緯はどういったものだったのでしょうか。

 

佐野 : 大学に入る時に法学部が一番つぶしが利くと言われてそれで入学したんですけど...(笑)。
実際には主に行政学を学んでいて、周りの生徒も地方公務員などの役員になるのがほとんどでした。
ただ自分の場合、色々なアルバイトや社会経験をしながらどうもサラリーマンは向いてないなと思い、
独立出来る職種を選ぼうと考えていましたね。

 

神南 : その頃から独立したいという気持ちがあったんですね。

 

佐野 : はい。それでその頃がちょうどバブル前だったんですが、デザイナーブランドといって、
ファッションというものがとてももてはやされた時代だったんです。
日本人のデザイナーがパリコレに出て世界的にも高い評価を受けるようになってきて
ぶっちゃけていうと格好良い職種でした。
そんな憧れから始まって、まずは修行するために一旦アパレル会社に就職しました。
     

 

神南 : 就職されてからは実際にどんなお仕事をされていたのですか?

 


佐野 : 生産管理部といって、デザイナーがデザインした服を工場に発注し納期や品質を管理する部署で仕事をしていましたが、
昼間は会社で仕事しながら、夜は研修として実際に生産工場で服を縫ったりしていました。
そんな生活を1年ぐらい続けて洋服を作るところから販売先までの業界の流れを学ぶことが出来ました。
ですが、やはりサラリーマン生活は苦手でしたね(苦笑)。

 


神南 : 中々自分のやりたいように出来るわけではありませんよね。

 


佐野 : 今考えると先輩へのリスペクトが欠如していたんだと思います(笑)。
若さ故にそういう考えが根底にあったので何をしてもぶつかっていました。
それで早く独立したいと考えていたんですけどその頃はそんな資金も当然無いわけです。

 


神南 : そこで会社を辞め一念発起して独立資金を貯めるために運送会社で働き始めたんですよね。

 

 

佐野 : そうです。当時の運送会社の給料がとても良くて。
それで会社に辞表を出したその足で1階のトラックヤードにいた運送会社のおっちゃんに
「今、辞表出したから雇ってほしい。」と言いました(笑)。

 


神南 : 決断が早いですね!
その頃既に佐野さんはご結婚されてお子さんもいたということですが、奥さんには相談はしなかったんですか!?

 


佐野 : しませんでした(笑)。
というのも実は奥さん(朱美さん)とは同じ職場で働いていて、
奥さんも「この人はサラリーマンには向いてない。」と薄々感じていたみたいです。

 


神南 : そうだったんですか!
一家の大黒柱でもある夫が会社を辞めることに対して不安はなかったんですか?(奥さんへの質問)

 


奥さん(朱美さん) : どちらかというと私も独立して一緒にデザイナーの仕事をしたかったんです。

 


佐野 : そうなんです。僕だけではなく彼女にとっても夢への第一歩だったので自分の決断に対して一緒に頑張ろうと応援してくれました。
それが当時自分が27歳で彼女が25歳の時でしたね。


神南 : それから約3年半運送会社に勤めて念願の独立に至ったわけですね。

 


佐野 : はい。ただアトリエ兼ショップとしてAtelier Sano(アトリエサノ)を設立したは良いんですが、
実は自分がメーカーで学んだことは服を作って管理するところまでで、実際に服をお客さんに売ることは経験したことがなかったんです。
さらにアトリエ兼ショップということでお店の半分が作業場、もう半分が売り場として始めたものですから
デザイナーの仕事をしながらお店の半分でニコッと「いらっしゃいませ!」とお話したり冗談を言ったりするというのはとても苦労しましたね。
最初、作っているところが見えるお店にしようというコンセプトで始めたので敷居を作らなかったんです。
当然外からも作っているところが見えるんですけどこれが大誤算でした。
しかめっ面する場所がありませんから(笑)。
     
    

神南 : そうは言いつつもそれから20年同じ形でやってきたというのはそれだけ強い信念を感じます!
そしてそれからデザイナーブランドの登竜門「神戸デザイナーズコンポーズド」に参加したとお聞きしましたが。

 


佐野 : 無名の若手のデザイナーが集まり、それらへのビジネス支援を目的とした展示会なんですが
そこでとても高い評価を頂き、新聞やラジオ・テレビなどで取り上げて頂きました。
広島の地元メディアにも取り上げて頂いて、大きな反響がありました。

 


神南 : ここからデザイナー佐野壽一さんの華々しい人生が始まってゆくのですね!!

 


佐野 : いいえ(笑)。実際はそんなに甘くはなかったんです。
バブル時代のファッションデザイナーに憧れていた自分は、自分自身がデザインしたものを売りたい。そう考えていました。 
しかし実際に来て下さるお客さんはお客さん自身がオーダーしたものを作ってもらいたいと思って来るんです。
自分に似合うかどうかではなく「有名なデザイナーがデザインした服だから格好良いし、買いたい。」といった時代は既に終わっていたんです。
当然無名のデザイナーに対するリスペクトもないので、20年間そのギャップが埋められなくて試行錯誤してきました。

 


神南 : 音楽でも東京に出てメジャーデビュー出来たらCDが何万枚も売れるもんだと思っていたけど
実際はそんな簡単じゃなかったという話は先輩方からよく聞きます。
事務所に入ったからといって売れるわけでもないですしね。

 


佐野 : 神南君なら、生まれた時から厳しい時代だからそんなに上手くいくものじゃないことぐらい分かっていると思うんですが、
バブル時代を生きてきた自分はその辺がまるっきり分かっていませんでした。ちゃんとしたものさえ作れば売れると簡単に思い込んでいたんです。
神南君は今日成功体験を聞きたいと思って来ているのかもかもしれませんが、何の確信も持てていませんし、まだ試行錯誤しています。
     

 

神南 : つまりまだ夢を追いかけている途中ということですね。

 

 

佐野 : そうです。諦めていません。
ただひとつだけ言えるのは...「諦めたら終わり」だということですね。
こんな小さなお店でも続けている限り、夢を語る権利があるんです。
     

 

神南 : とても心に響きました。
沢山の音楽仲間が夢を諦めてしまいましたが、ミュージシャンがマイクもギターも置いて活動を止めてしまったら、可能性はゼロになってしまいます。
売れないミュージシャンでも、広島で細々と活動していたとしても、50才、60才になろうと続けてさえいれば可能性はゼロではないはずなんです。
自分もそう信じて夢を追いかけています。

 

佐野 : それを生業にして食べている限りはお客さんがゼロではないということなんです。
ちゃんと作ったものを買ってくださるお客さんがいるということで、自分もこれまで25年間続けてこれましたが、少なからずお客さんがいるんです。
これは本当に有難いことですね。

佐野 : これは「それゆけカープ」をジャズ風にアレンジしているという大人っぽさから
黒を貴重にして、赤をポイントにした衣装にして欲しいという先方のカープジャスさんからの依頼だったんです。
最初は全員黒一色に赤を織り交ぜた衣装でメンバーそれぞれちょっとづつデザインが違うものにしたいということでした。
女の人が着る衣装も黒のものにしたい。と言っていましたね。
でも、せっかく女の子がいるのに黒い服のパンツスーツを着させるなんてとんでもないと(笑)。
彼女には真っ赤なミニドレスを着せてあげたいと僕がお願いしました。
あ、そういえば「ジャケットも長袖で揃えたい。」という提案も頂いていたのですが、
それもぱっと見た時に全部一緒にしか見えないから「一人はベスト。そして一人は半ズボンにしよう。」と先方の提案を一蹴しました(笑)。

 


神南 : 佐野さんの本性が出ましたね(笑)。

 


佐野 : デザイナーとしての自分の意見を受け入れて下さったものの、本人たちはその衣装をお披露目するまでは若干抵抗があったみたいですけどね(笑)。
ところが、半ズボンと赤ドレスの衣装が一番評判が良かったんです!
実はベーシストのベストの衣装も背中に真っ赤な生地を使っているのですが、ベースの人ってウッドベースを弾くのに背中がチラっと見えるんですよね。
それがアクセントとなっていて、とても良い評価を頂いています。
たくさん話してしまいましたが、オーダーでもお客さんが作ってもらいたいというものをそのまま作るのではなくて
こちらの主張も取り入れていきたいです(笑)。
元々自分のオリジナル洋服を作るところから始まっているので、オーダーを受けるときにこっちの提案をしてしまうんです。
「こうしましょう。ああしましょう」と。
でもそこで、スパン!とハマった時の気持ちよさは、お客さんも自分が思っていた以上のモノができた喜びみたいなものがあるんですよ。
もちろん、「これじゃない。思っていたものと違うものが出てきた。」と言われかねない恐怖感もあるんですけどね。
だけどそれじゃ自分は満足できないんです。

場所=アトリエサノ

撮影=宗末 章

神南 : この「リ ショウネン対談」に相応しい熱い気持ちを聞かせて頂きました。有難うございます。
話は変わりますが、最近では新品の洋服を作るだけでなくリメイクなどもされているそうですね。

 

佐野 : はい。以前は新品の服だけを作っていたのですが、シビアな話売れ残ってしまうことがあるんです。
それを無くそうと先ずは洋服のオーダーメイドを始めました。
オーダーメイドだけだと注文が来ない可能性はあったとしても売れ残ることはありませんからね(笑)。
もちろんそれだけでは食べてはいけないのでもう一つ何をしようかと考え、始めたのが洋服のリフォームでした。

 

神南 : ちょっと待ってください!リフォームとリメイクの違いとは何なのでしょうか。

 

佐野 : これは自分の勝手な理解かも知れませんが
リフォームというのはいわゆるお直し、あるいは修理です。
一方リメイクは全く違う形にしてしまう。つまり作り変えるということです。
例えば着物を洋服に変えるとかそういったことですね。
この考えが正しいかどうかは分からないですが、根本的に姿かたちを変えしまうものを私はリメイクと定義しています。
それでリフォームから始まったのですが、着物を持ってきて、「着物の生地から洋服を作ってもらえませんか。」という
想定外の依頼を頂くことがあったんです。

 


神南 : 佐野さんのブログで拝見しました!とても素敵でしたよ。

 


佐野 : ありがとうございます。挑戦ではあったんですけど、いざ作ってみるとお客さんからとても好評を頂いたんです。
それで神南くんが言ったようにそれをブログにアップしたんですけど、それからそういったお客さんが増えてきてリメイクもするようになりました。

 


神南 : 着物を親から買ってもらったり、形見だったりで大事にしたいと思う反面なかなか着る機会もなかなか無いでしょうし、
タンスの肥やしにしておくのも勿体無いという方が沢山おられるかもしれませんね。

 

佐野 : それで「素敵だね。」という話になり、わざわざ古着屋に着物を買いに行って、それで洋服を作って下さいというお客様も中にはいらっしゃって。
そういうお客様がここ1年半年で増えてきていますね。
でもメインはオーダーメイド。洋服を作り、仕立てることです。
実はちょうど4年前から「FMはつかいち」でパーソナリティをやることになって、ミュージシャンたちと共演する機会が出てきたんです。
その関係で色んなミュージシャンとのお付き合いも多くなり、舞台衣装を作る仕事が増えてきました。
以前から無かったわけではないんですけど、ラジオパーソナリティを始めてからは衣装製作も仕事の柱になってきましたね。
   

 

神南 : 広島で精力的に活動されているカープジャズさんの衣装も佐野さんが手がけているということですが、普通カープなら白と赤のカラーをイメージすると思います。
でもこれは黒と赤をモチーフにした衣装なんですよね。

佐野壽一

 

デザイナー

1962年3月28日生まれ
広島県呉市出身


1997年 デザイナーブランドの登竜門「神戸デザイナーズコンポーズト」に参加。
その卓越したセンスと高い技術に裏打ちされた完成された端正なフォルムに、
様々な技法を用いた細やかで温かみある手作業を加えた作品群は「品格と静寂の美学」と称され、
独立系新進デザイナーとして多くのメディア及び業界関係者から高い評価を得る

2012年 現隅の浜店に移転 業態を“洋服のオーダー&リフォーム”に特化

2013年 FMはつかいち「さのっちパラダイス」放送開始

 
PTA歴10年 町内会歴15年
28才と26才の娘はすでに独立 現在、妻“朱ちゃん”と二人暮らし
趣味は サッカー ソフトボール 自転車 (ギターはお休み中)

神南 : 夢中になってお話して下さる佐野さんの表情や衣装制作にかける情熱からデザイナーへのこだわりをひしひしと感じました。
自分も是非佐野さんにお願いしたいですね!
それはそうと、お部屋に飾っている写真の佐野さんの隣に写っているお方は一体?

 


佐野 : 森 英恵(もり はなえ)さんという方で日本人としては唯一のパリのオートクチュール組合の正式メンバーです。
オートクチュールというのは高級衣装店のことを指すのですが、オーダーメイドの最高峰のデザイナーとして認められている方です。
森泉(もりいずみ)さんの祖母と言ったら分かる方も多いかもしれませんね。

 


神南 : ファッション界の天皇のようなお方なんですね。
森泉(もりいずみ)さんの祖母と言われると確かに何となくピンと来ます(笑)。

 


佐野 : その森英恵さんと島根美術館で偶然ばったりお会いしたんです。
その時に色々お話をさせて頂いて、「私が海外の第一線でやってこられたのは日本の美しいもの見てきたからだと思います。
あなたも日本の美しいものをしっかり見て感じてください」と自分に言って下さったんです。
その言葉を肝に銘じて精進していきたいと思い、部屋に飾っています。
それから洋服についてより深く考えるようになりましたね。

 


神南 : 洋服の奥深さ…

 


佐野 : 洋服というのはヨーロッパの文化ですよね。日本にも和服という文化があるんですけど
もっと基本的なことを言うとそれらは「美」に集約されると思うんです。
つまり「美しいもの」です。
     

 

神南 : 難しい話ですね…ついていけないかもしれません(苦笑)。

 


佐野 : 美しくなろうと思った時にいくら洋服だけ着飾っても本当に美しくはなれないはずです。
少なくとも洋服だけ良い物を着てさえいれば格好良いというようなバブルの時代は終わったんです。
戦後から時代が成熟してきて逆にボディやフェィシャルの美しさを磨くことが主流になり、
洋服よりも身体のメンテナンスや自己啓発など内面にお金をかける時代になってきています。
もっと言うと喋り方や身のこなし、心、全部美しくないと本当に美しくはなれないのかもしれません。
     

 

神南 : やっぱり難しいです!佐野さん(泣)。

 


佐野 : そうは言っても、自分は服を作ることしか出来ないので、その「トータルビューティの中の洋服部門のスペシャリストとして洋服を作っていきたい。」
     これを目標にしながら今の仕事を愚直にやっていきたいと考えています。

 

神南 : ラジオではひょうきんなおじちゃんというイメージを持っていましたが本当に深く情熱的にお洋服について考えていらっしゃるのですね。

 


佐野 : (笑)。
これから洋服は、よりパーソナルなものになってくるような気がします。
むかしはデザイナ-が作った服が流行ると似合おうと似合うまいと皆その服を着ていました。
ところがこのトータルビューティというものを目標にすると全ての人が成し遂げれるものではなくなってきます。
なので、「あなたにはこのお洋服が似合いますよ。」というスタンスになってくると思うんです。
「あなたにはこれが似合う、もっと魅力的になる。」という洋服の提案の仕方をするようにこれからはなってくるんだと思います。

 


神南 : 佐野さん今日は本当に貴重なお話を有難うございました。
自分もポップスというものについてずっと追求しているのですが、先輩の方が一生懸命に夢を追いかけている姿をみると
自分ももっと魂を注ぎ込んでいかなければいけないと改めて考えさせられます。
     

 

佐野 : こちらこそ有難うございました。そうやって聞かれることによって「お前の進みたい所はどこなんだ。」と自分の気持ちを改めて整理することが出来ます。
20年以上この仕事をやってきてもう一回夢について問われたことで、またそれを考える機会を神南君からもらえました。
有難うございました。

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